彫師 西岡弥三郎について
天保9年(1838)6月28日生・・・歿年は不詳。彫又二代目西岡又兵衛の三男と云われており、幕末から明治時代
にかけて活躍。明治35年10月、永年住みなれた堺大町東3丁目より大阪市東区南久太郎町3丁目に転居する。
弥三郎は、<西岡弥三郎藤原政光>と銘を刻み、長男徳次郎と力を合わせ地車等に名作を残し、彼の初期作品
には<堺彫弥三>の銘も見受ける。
<作品>
幕末〜明治初期
大阪市平野区背戸口町地車
〃
大阪狭山市大野地車
〃 東大阪市寺島地車(元岸和田市春木八幡町先代地車)
〃
泉佐野市上之郷上村地車
(元岸和田市中之濱町先々代地車)
元治元年
泉南市樽井獅子講やぐら
明治13年
奈良県橿原市今井西町地車
明治14年 松原市更池地車
〃
貝塚市脇浜地車
(元岸和田市稲葉東地車)
明治15年
河内長野市石坂地車
明治28年
泉南市樽井濱中講やぐら
年不詳
大東市新田東地車
〃
和歌山県橋本市市脇先代地車
〃
守口市守居神社土居地車
〃 奈良県広陵町馬見平尾地車
〃
南河内郡千早赤阪村水分地車
〃
南河内郡河南町中村地車
〃 兵庫県尼崎市御園太鼓台
〃
泉佐野市中大木担地車
〃
泉南郡岬町大東連中やぐら
〃
泉南郡岬町大西連中やぐら
・・・等
※徳次郎・弥三郎兄弟合作の地車等は、派手さはない。しかし、これが(彫又)の彫物だと見る者を
納得さす味がある。細かい細工は不得手、荒物に神髄を発揮した作品が多く、寺社などにも名作
があるはずだと推察するが未発見。
参考資料:大坂・浪速木彫史
ここでは、濱中講の彫り物を彫った西岡弥三郎政光についてご紹介しています。濱中講以外に西岡弥三郎が彫った他の彫り物も出来る限りご紹介して行きたいと思っています。